天気がよかったので、今朝、散歩をしました。
散歩をするときは、いつもMBTシューズを履いて歩きます。
歩くっていう動作には、なにか目的がある場合と、ない場合があると思います。
散歩はまさに目的がない方ですね。
でも、ひそかに、「健康のため」とか思って散歩に出かけた場合は、それは散歩とは言わず、ウォーキングとなるような気もします。
そう考えると、今朝の散歩は、ややウォーキング寄りだったと言わざるを得ないのかも。(別にウォーキングを否定しているわけではないんですが)
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ここで、ふと思ったのですが、
最近、目的もなく歩くこと、つまり散歩をしてないなぁと。
日常の生活に置き換えると、『ぼーっとする時間』とでも言いましょうか。
でも、その無意味のように思われる時間が、実はとても重要な意味があるんじゃないかと思いましてね。
以前、落語家の桂三枝さんが、
「大晦日に放送されるNHKの「紅白歌合戦」が終わってから番組が切り替わり「ゆく年くる年」の最初の鐘がなるまでに絶妙な「間(ま)」があるんですが、その間がすごく重要なんです。落語でも、この間が大事なんです」
みたいなことをテレビで言っていたのを思い出しました。
おそらく、
散歩は、日常における「間」ですね。