「自らを灯として進んでいくしかないのう」


前回の大河ドラマ「直虎」の中で、城主としての悩みを打ち明けた直虎に対して、南渓和尚がそう諭したシーンが印象に残っています。


もともと、この言葉(自灯明)は禅語から来ているそうですね。

お釈迦様が亡くなる前に、「先生がいなくなったら、私はどうしたらいいのでしょうか」という弟子に対して「自分をよりどころ(灯)にして生きていきなさい」と伝えたことが、「自灯明」のお話だそうです。


南渓和尚は直虎に対して、「自分の灯で、自分の足元を照らし、自分の足で歩いていけ」と、禅語を引用して励ましたわけですね。

現代社会は食べるものに困ることもなく、夜でも街は明るく、あらゆる情報は行き渡り、便利なモノで溢れ・・・要するに当時とは比べものにならないほど豊かで世の中が明るく照らされています。

でも、世の中の灯や他人の灯に頼っていたら、他者が照らしているところには行けますが、自分が行きたいところにはたどり着けないんですよね、結局のところ・・・。


この「自らを灯として進んでいく以外、自分が行きたいところにたどり着く方法はない」ということに関して、もうちょっと考えてみたいと思います。

ということで、次回につづきます(苦笑)。





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