ここ10年ぐらいでしょうか。
メディアなどで「多様性」という言葉を目にする機会が増えた気がします。
そもそも僕たちホモ・サピエンスを含む生きとし生けるものは、すべて多様で複雑なものだと思うので、多様性が求められる現代の風潮はとてもよいことだと思います。
そんな「多様性」という言葉の意味を考える時、僕はある言葉を思い出します。
それは金子みすゞさんの
「みんなちがって、みんないい」
です。
*
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
金子みすゞ
*
ホント、心の奥底に響きますね。
8年ほど前に山口県にある金子みすゞ記念館に行ったこともあるぐらい、僕は彼女の詩が好きです。
(以前ブログでもつづったかもしれませんが・・)
僕がまだ小さかった頃、自分がちょうど収まるぐらいの幅のドブ(!!)に入って寝っ転がって、空や側溝の暗い奥の方をずっと眺めていたり、食卓テーブルの下が自分の秘密基地だったり、ソファと壁の隙間の狭いスペースが好きだったり、学校で忘れものをすることが多かったり、他人と競争したり比較されることがすごく嫌いだったり(サッカーでも空手でもガツガツいけないタイプでした)、内気かつ人見知りで低学年のうちは学年が変わる時期に必ず熱を出して休んだり・・・。
幸いにも僕の親はそんなちょっと変わった内気な純也少年をまったく問題視せずに育ててくれたので、そのことに関しては本当に感謝していますね。(近所の方から僕がドブに寝っ転がっていることを聞いても「まぁ大丈夫ですよ〜」とひと言)
もし他人と横比べされたり、できないことや標準(普通?)ではないことに主にフォーカスされて育っていたら、ひょっとしたらこうやって自分で独立してお店を持とうという気持ちにすらならなかったかもしれないですから。
だから、多様性が叫ばれている今の風潮はとてもよいことだと思いますし、これからの時代が、今よりももっともっと、一人ひとりの個性(みんなとちがうところ)や得意なことや好きなことをより活かせて、一人ひとりが明るい希望をもって生きていけるような、そんな世の中になっていくといいなぁって。
僕は心からそう願っています。