いやぁ、このところ本当に暑いですね。。。
お互いに体調管理に気をつけたいものですね。
こんな時は、無我の境地でいなければ干上がってしまいそうです(苦笑)。
ということで、今日は「自分とか、ないから。」っていう東洋哲学の本について少しだけ綴らせていただきます。
哲学といっても、高校時代に国語で赤点を取ったことがある僕(苦笑)でも読めるほどわかりやすい内容の入門書で、(著者のしんめいPさんは東大出身の元芸人でもあります)ところどころクスッと笑わせてくれたりしながら、ブッダや老子、親鸞、空海などの哲学について解説してくれています。
なかでも、「空(くう)」の章の「すべてはつながっている」話が面白かったですね。
ちょっと藤井風さんの歌にも通じていますね。
印象に残っているのは、「山」と「自分」の境界線は幻っていう以下のくだり。
*
「水」のうごきをみてみれば、それがよくわかるはずだ。
水は、「雲」として存在してます。
水は、「雲」から「雨」にかわります。
水は、「雨」から「山」にかわります。
しみこんでるから山の一部になる。
水は、「山」から「川」にかわります。
で、水は、川から水道管をとおって、あなたの家にながれてくる。のむ。
水は、「川」から「自分」になります。
なんかポエムみたいになってしまった。
いまAM4時。深夜のテンションこわい。
でも、これ、ポエムというよりは事実なんすよ。
からだの70%は「水」だといわれてる。
つまり、
からだの70%が「雲」
からだの70%が「雨」
からだの70%が「山」
からだの70%が「川」
っていっても、おかしくないやん。
水をのんでるとき、「川」をのんでる、っていってもギリ違和感ないはず。
なら、「雲」をのんでる、ってみかたもできるはず。
水をのむってことは、 「雲」が「自分」になるってこと。
「雨」が「自分」になるってこと。
「山」が「自分」になるってこと。
「川」が「自分」になるってこと。
「雲」がみえたら、その水はいつか「自分」になる。
「雨」がみえたら、その水はいつか「自分」になる。
「山」があったら、その水はいつか「自分」になる。
「川」があったら、その水はいつか「自分」になる。
とおもうと世界のみえかたがかわるはずだ。
じつは、こんなにあたりまえにかんじてる、「自分」の境界線も、幻だ。
ー「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」 サンクチュアリ出版. ー
*
「山」とか「雲」が「自分」になるって、これまで考えたこともなかったので、とても新鮮な気持ちになりましたね。
こうやって自分の思考の抽象度を上げてくれる本を読むことは、僕にとってとてもいい体験になります。
この読書体験によって、実際に山を登った時、雲を眺めた時に、これまでと違った感覚で自然とか地球とか宇宙を感じることができますからね。
ということで、
「自分とか、ないから。」という本を紹介させていただきました。
もし興味がおありの方は、ぜひ手に取ってみてくださいね。
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